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瞽女(ごぜ)
2021-11-18
私の愛読書『到知』からの抜粋です。

  ↓↓↓以下抜粋です。↓↓↓

北陸地方などには、かつて瞽女(ごぜ)と呼ばれる
盲目の女性旅芸人たちがいました。
小集団で諸国を巡り、三味線を弾き、
唄を唄うことを生業としていました。
 
ここで紹介する小林ハルさんもそのお一人です。
小林さんが瞽女として培った人生観は
私たちの生き方に示唆を与えてくれています。
───────────────────
 
(小林)
 
瞽女(ごぜ)は目が見えないので、
必ず「手引き」という目の見える人と組んで旅に出かけます。
いつも気の合う人と歩ければいいのですが、
そういったことは滅多になく、あの人と歩いたり、
この人と歩いたりと、いろいろな人と組まなければなりません。
だから、瞽女の組み合わせは
一つの修行といってもよいかもしれません。
私はいい人と歩けば祭りだし、
悪い人と一緒だと修行だと思って
いつも歩いてきました。
 
73歳の時、私は老人ホームに入りました。
このホームに入っている人たちはほとんどが目の見える人たちで、
同室になった四人のうち一人だけ意地悪な人がいました。
その人は私よりも2つか3つ年下で、
連れ合いを亡くし、子どもたちがみんな独立して
自分一人になったのでホームに入ったようです。
 
入った時からその人は、
私にいろいろな意地悪なことを言いました。
「目が見えなくたって、ごはんが食べたいんだか」とか、
誕生会で唄を唄うと
「瞽女だと思っていい気になっている。
目の見えないざまして
いっちょうまえ(一人前)の気になっている」
と事あるごとに意地悪なことを言うのです。
 
家のやっかいになるまいと思ってここに来ましたが、
ここもまた切ないところだなと思いました。
しかし、年を取って
どこも行くあてがなくてここに来たのですから、
諦めるより仕方がありませんでした。
 
どこへ行っても、いくつになっても
いろいろな苦労があるものです。
しかし、神仏はすべてお見通しです。
人に言いたいこと、したいことを何も考えないでしていると、
必ず天罰があたる。
私は決して無理なことを言ったり、したりしないで
すべて神仏にお任せしてきました。
言いたいことはいっぱいありましたが、
それを口から外に出してしまえば必ずバチがあたります。
 
ホームでこうやって世話をしてもらうだけでもありがたい。
いくらなんでもこの年になって
外や雨のあたるようなところにはいられないのですから、
ここへ来たらそれが務めだと思って、
そういう人に対してはなおさら気がねして努めてきました。
 
考えてみれば、ホームの組み合わせは
瞽女と同じようなものです。
ホームも組み合わせで良い人と組めば祭りだし、
悪い人と組めば修行です。
それでも瞽女は短くて1か月、
長旅でも半年もすれば組み合わせが変わります。
ホームは一度組むと2年も3年も一緒ですから
辛いところもありますが、
幸い私は3年目からいい人と同じ部屋になり、
もう姉妹のようにお付き合いさせていただきました。
 
私は目が見えないので、どんな目に遭っても、
どんなことがあっても
人には背くまいと思って生きてきました。
そうやって努めてきたからこそ、
いまはこんなに幸せで気ままに
生きさせてもらっているのだと思っています。
若い時の苦は楽の種という言葉がありますが、
百歳になったいま、そのことをしみじみと実感しています。
 
※『致知』2000年4月号特集より

    ↑↑↑以上、抜粋でした。↑↑↑

私の人生も、皆さんの人生も、全てが意のままに言っているわけではないと思います。

意のままに行くことの方が、少ないのではないで
しょうか。

どう考えても不合理なことが、目のままで堂々と行われてしまうこともあります。

耐えるしかありません。

失ったもの、本来手に入れられるはずだったもの、のことは忘れ、今持っている、小さくてもありが
たい幸せに感謝して生きていくことが大切なのか
もしれません。


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