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オリンピックの開催を考える。
2021-05-11
オリンピック開催するべきか、否かという議論が起きています。

私は、どちらでもよいのでないか、ただ、ここで、中止ということになると、その損失感は日本国民のメンタルに悪い影響を投げかけると思います。開催すれば、必ず感動があります。その感動を見て、例えば水泳の池江璃花子の頑張っている姿を見て感動し、元気がもらえると思います。

人間は、その想念によって幸せににもなれば、不幸せにもなります。元気がもらえる方向にいつも自分を持っていくことにより、明るく溌溂とした幸せな人生を送れるのです。

コロナ禍の前までは五輪ムードの高まりを「開催への同調圧力」と批判する人たちがいました。

しかし、今の世論は「中止への同調圧力」にあたるのではないかと思います。

池江選手への「東京オリンピックへの出場を辞退してほしい」「開催に反対てほしい」という投稿がたくさんされていると言います。
開催に反対するのは結構ですが、20歳くらいの病気から立ち直りつつある池江選手にこのような心無い投稿をするのは、酷すぎる所行だと思います。反対するのなら、他の方法をとるべきでしょう。


世界中で大きなスポーツ競技をしています。コロナ禍を回避するために「バブル方式」という方法で、行っています。テニスにしても、ゴルフにしても日本人選手の活躍が大きな話題となっています。あのような感動こそ、このコロナ禍の時には必要なのではないか、中止してしまったら、喪失感だけでになってしまうのではないかと憂慮します。

「バブル方式」で、ほぼ完璧にコロナ禍を回避しています。この方法をとれば、ほぼ安全にできるのではないかと思います。

憂慮するのは、「五輪などやっている場合か」「今はそれどころでない」といった感情的な批難です。

それなら、野球やサッカーや相撲などのプロスポーツはどうなのか。音楽や演劇などの文化活動はどうなのか、と思います。

我々は、万物の霊長であり、知恵がある人類です。他の動物とは違うのです。人間らしい営みとして文化・芸術・スポーツがあるとのだと思います。

各人が、冷静に五輪に向き合うべきだと思います。
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